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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)1812号 判決

被告 興産信用金庫

理由

一、請求原因事実について

平田と被告との間に原告主張のとおり定期預金契約が結ばれ平田が本件債権を取得したことは当事者間に争いがない。被告は平田が訴外会社代表取締役として訴外会社のために右契約を結んだと主張し、証人井上熊次郎はこれに副う供述をするけれども、右供述は証人松平諒吉、同社本寿江の各証言に照してたやすく信用できず他に右主張に副う証拠もなく特別の事情の認められない本件では結局平田は個人の資格において被告と右契約をしたものと認められる。証人松平諒吉、同社寿江の各証言および同各証言によつて真正に成立したものと認められる甲第二二号証によれば平田は昭和三六年二月頃原告に対して本件債権を譲渡したことが認められ、右認定を覆すにたりる証拠はない。

二、質権の抗弁について

平田が被告のために本件債権について質権を設定したことは当事者間に争いがない。証人井上熊次郎の証言および同証言によつて(但し、確定日付が真正に成立したことは当事者間に争いがないのでこの部分を除く)真正に成立したものと認められる乙第一号証によれば、右債権は被告の平田に対する元金金一、五〇〇万円の貸金債権の担保のために昭和三五年一二月九日に設定されたものであること、被告は平田の有する本件債権の債務者として右質権設定契約を承諾する旨の意思表示を質権者としての被告に対して昭和三六年四月一一日の確定日付のある乙第一号証によつてなしたこと、従つて被告はその有する質権を以つて第三者に対抗することができることが認められる。

債権の上に質権が設定され、第三債務者が右質権の設定を確定日付のある証書を以つて承諾した場合には、右債権の譲渡がなされ、その譲受人から第三債務者に債務の支払の請求があつたときに、第三債務者は第三者に対する対抗要件である確定日付のある証書を以つてした質権の設定を尊重し、質権者のためにその質権の目的である自己に対する債権の保全をすべき義務(対抗要件の存否により客観的一律に権利者の優劣を確定して法律関係の錯雑することを防止しようとする法律上の要請に基く)があり、結局右認定の事実のある本件においては仮に被告が平田と原告との間に於ける本件債権の譲渡に承諾を与えたとしても被告は右に述べた義務の反面として原告の本件債権の支払請求を拒絶しうるものと言わなければならない。よつてこの点に関する被告の主張は理由がある。

三、質権消滅の再抗弁について

(一)  質権設定契約の解除の有無について

成立に争いのない甲第一ないし第一七号証、第二四号証、証人松平諒吉、同社本寿江の各証言を総合すると、本件債権に関する定期預金証書が昭和三六年二月頃平田から原告に交付された際には、その証書の裏面には全て「消」との判が押してあつたこと、同年七、八月頃被告の本店預金第二課長井上熊次郎は訴外松平諒吉、同社本寿江に対し判が消えているから本件債権は期日には現金になる旨述べたこと、(右事実については後にふれる)右松平および社本は右事実から推して質権は既に消滅したものと考えたことが認められるけれども、右消判の存在のみを以つて直ちに松田と被告との間の質権設定契約が解除されたものとは認められず、一方証人井上熊次郎は右判についての記憶がない旨および右両名と面会した際に同人等に対し右証書は平田から被告が質権の設定を受けているものであつて被告はこれに対する担保権者としての権利を有するから、原告はこれを保持し得べきものではないので被告に返還すべきことを告げ、又、原告平田間の譲渡を承諾するとは述べなかつた旨述べているので前記認定事実から質権消滅の事実を認めるには十分でなく、他に右事実を認めるにたりる証拠もない。

(二)  定期預金証書の返還によつて質権設定契約が解除されまたは質権が消滅したとの主張について

証人井上熊次郎の証言および同証言によつて真正に成立したものと認められる乙第二号証、前顕甲第二二号証、証人松平諒吉、同社本寿江の各証言を総合すると被告は昭和三六年二月頃本件債権に関する定期預金証書を平田の一時借用したい旨の求めに応じ同人に交付したことが認められるけれども右認定の事実によれば被告が平田に右証書を交付したのは単なる同人の一時借用の申込に応じたものに過ぎず、いまだ右事実を以つて被告と平田との間の質権設定契約を解除する旨の合意のあつたことは認められない。また、本件債権は、いわゆる指名債権に属するものであつて、指名債権の上に質権を設定する場合にその債権の証書があるときは、質権の設定は質権設定の合意とその証書の交付とによつて効力を生ずるものであり、一般の質権設定の場合の質物の交付が証書の交付に対応するものと言える。しかし債権質に於ては、質権者に対する証書の交付および同人のその所持は、質権を公示する作用に於いてその効力は弱く(債権質の本来的公示方法は第三債務者に対する通知またはその承諾である)、又、指名債権の行使その他の処分には証書を必要としないこの権利の性質上、質権設定者から質権の目的たる債権の処分機能を奪ういわゆる留置的効力も伴わない。従つて質権者による証書の所持は、一般の質権の場合に質権者が質物を所持することにより質権を公示し、且つその留置的効力を完全に享有しうること(即ち質物の所持が質権の存在および効力と不可離の 係にあること)に比して、その有する法律的意味、即ち質権の存在および効力との関連性は小であるものと言うべきであり、このことは証書のない債権にあつては質権設定の合意のみで質権が成立することと比較対照して見ても肯定できるものと考える。

一般の質権に於て、質権者が質物を任意に返還する場合であつて右返還が質権設定契約を解除する旨の右契約当事者間の意思の合致によらないものと認められる場合には、なお質権設定契約は当事者間では有効であつて質権者は質権設定者に対する質権を喪失することなく、単にその質権を以つて第三者に対抗し得ないものになるに過ぎないと解するのが相当である。

よつて一般の質権に於ては、右の如き場合には、質物の任意的返還即ち所持の喪失が当然には質権の消滅を招来しないものであるから、前示の如く証書の所持が一般の質権に於ける質物の所持に比してその有する法律的意味の小である債権質に於ても、又、右の如き場合には、その任意的返還は質権の消滅を招来しないと解するのが相当である。よつて前認定の事実のある本件ではこの点に関する原告の主張は理由がない。

四、原告のその余の再抗弁について

前二、で示した事実の認められる本件では、原告の主張は仮に認められるとしても、二、で示した理由により被告の質権の抗弁を排斥するにたりないものであるから、結局この点に関する原告の主張は判断する必要がない。

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